姫路城の「平成の大修理」を成功に導いた野崎信雄さん。彼の挑戦がなければ、あの美しい白鷺城はどうなっていたのでしょうか?歴史の裏側に迫り、職人たちの絆と熱意を探ります。
2009年、姫路城の「平成の大修理」が始動しました。日本の伝統建築技術を未来に継承するための壮大な挑戦でした。
その中心にいたのが、野崎信雄さんでした。彼の卓越したリーダーシップと技術的な知見がなければ、城の復活は成し遂げられなかったかもしれません。
実際の現場では、どのような困難があったのか?職人たちはどのように協力し、伝統技術を守ったのか?その舞台裏を詳しく解説します。
野崎信雄さんの経歴と姫路城修復の陣頭指揮
出典:https://www.kajima.co.jp/tech/himeji_castle/interview/index-j.html
野崎信雄さんの経歴とその専門性は
野崎信雄さんは、日本の文化財修復の第一人者として数々の歴史的建造物の修復に携わって来られました。不思議な関係性ですが野崎信雄さん自身、姫路城の城下町で生を受け、子供の頃に「昭和の大修理」を間近で見た経験があったそうで、その自分が「平成の大修理」の指揮を執る事が出来たことを後に感慨深く語っておられます。
芝浦工業大学建築工学科を卒業し、1972年に鹿島建設㈱に入社され39年間の現場経験で、特殊建築施工のエキスパートとして活躍されました。例えば、斬新な形の超高層ビルや競技場施設、発電所の巨大サイロなど、多種多様な構築物の建設プロジェクトに携わられた経験があったとのこと。
そんな経歴を積んだ野崎信雄さんの耳にこの修復プロジェクトの話が入ると、是非地元に貢献できる最後のチャンスと自ら声を上げ、2009年10月から2015年3月迄の約5年半にわたる保存修理工事を総括することになったそうです。
💡その専門性のその先!・・
姫路城は国宝であるばかりか、世界遺産であることから、文化財保護の最前線で経験を積むこととなります。それは文化財保護法とユネスコのヴェニス憲章の理念(形状・材料・工法・位置の不変)を遵守する必要性が求められるからでした。
具体的には建造物や地盤下などの変更・変形・破損などは一切許されない、そんな厳しい制約を意味していて。それは言い換えれば複雑な構造の姫路城に対して、素屋根の設置や解体など、途方もなく高度な技術が要求されると言うことです。
しかし野崎信雄さんは子供の頃から見ていた姫路城の姿を隅々まで把握していたため、素屋根の設計図を一目見ただけで施工の難所を理解できたそうで、その確かな知識が、姫路城の大修理にも大きく貢献しました。
その後はプロジェクトの終了引き渡しが完了し、2015年6月に鹿島建設を退職されています。野崎信雄さんは、長年の経験と姫路城への深い理解を活かし、世界遺産である姫路城の保存修理プロジェクトを成功に導いた技術者として高く評価されておられます。
いつの時代にもこのようなプロジェクトには秀でた人材が生まれるのですね、私としては驚くばかりですが、皆さんの周りにもこんなリーダーはいらっしゃいますか?
姫路城修復の陣頭指揮
野崎信雄さんは言ってみれば全体の総指揮なんですが、具体的には複雑な構造の姫路城に対して、素屋根の設置や解体など、高度な技術が要求される作業の指揮をはじめ、屋根瓦の全面葺き替え、外部壁・軒裏等の解体と補修、構造補強工事、先にもご紹介した文化財保護法とユネスコのヴェニス憲章の理念を遵守しながら、伝統技術と現代技術を融合させた修理工事を指揮されました。
出典:https://www.kajima.co.jp/tech/himeji_castle/interview/index-j.html
そんな中でも工事の様子を一般公開する「天空の白鷺」という見学施設の設置にも貢献しておられ、約184万人が訪れる観光スポットとしても成功を収められました。
現場では気配りの人と称されるほどの方だったようで、このような重責を5年半ものながきに渡って総括するなんて私には途方もない話で、工期中の自身のメンテナンス等どう過ごされていたのか、その辺りを番組で聞けたらと私は期待しています。
姫路城平成の大修理への大きな功績とは
言ってしまえば「平成の大修理」を無事に自己無く納期を守って総指揮を終わらせたこと全部がそうなるのでしょうが、将来の若手職人の活躍の場を作り、技術伝承に貢献されたことが一番の大きな功績では無いでしょうか?
野崎信雄さんはただの保存修理工事では無く先の事まで見据えた耐震補強など、最新の技術導入をしつつ、文化財の価値を損なわないよう工夫を施した、このあたりもさすが気配りの方だと感心してしまいました。
伝統技法と技術伝承にかけた想いと最新技術
若手職人の抜擢が凄い!
今回の修理作業では、各作業に若手の職人が積極的に抜擢され10代の有望な職人も含まれていて、若手の活躍が多く見られました。熟練職人と若手職人が共に作業することで、技術や知識の伝承が行われたのです。
出典:https://www.kajima.co.jp/tech/himeji_castle/interview/index-j.html
✅ 例えば…
特に漆喰塗りにおいては、「灰頭(はいがしら)」という秘伝の技を受け継いだ左官職人が活躍し、若手への技術伝承が行われましたし、瓦の修復では、最新の防水技術を活用し、風雨への耐性を向上することが出来ました。
こうした挑戦が、姫路城をより強く、より美しく蘇らせることにつながったのですね。これから益々人口が減りますのであらゆる伝承が心配ですね、私もこれから何が残せるのかそっちが心配です。
まとめ
野崎信雄さんの指揮による「平成の大修理」は、技術の進化と職人の熱意が生み出した奇跡でした。
この修復プロジェクトがなければ、姫路城は今も荒れ果てていたかもしれませんよね。
未来に遺すべきものは何か?その答えを、彼らの挑戦から学び取ることができるのではないでしょうか。是非番組をお見逃しなく!
コメント